植松の死を望む人々は植松の同類であることがなぜわからないんだろう
植松は時分の基準で社会的に無価値なお荷物な障碍者をころした。
障碍者だろうが人権があり殺せば殺人だから
植松がやったことは大量殺戮でしかない
しかし、植松の死を望むとそれは
植松という社会的に有害でお荷物で無価値な人間の死を望むということになる。
植松と何も変わらない
違いが有るとすれば
植松は本当に殺してしまい
植松の死を願う者は実行していない
ただその差だ
もし、植松は死ぬべきだと思い
植松を私刑で殺すものが現れた時
植松の人権を侵害したために
その人間は殺人犯になる
植松の死を望むことは
植松の同類ですと宣言しているだけで
実は障碍者差別しているだけなんだけどわかっているのだろうか?
差別するのは植松と同じ健常者以外は死ね理論通りじゃないか
自分たちが何を言っているのか本当にわかっているんだろうか?