国家が弱者を見捨てる時、それは宗教が信者を見殺しにし、社会主義が労働者を見殺しにし、企業が顧客を切り捨てるような、暴挙
それはもはや存在意義の否定でもある
国家が暴走して弱者を殺し始めるなら権威と信用と権利を喪失する
人権や市民権を剥奪して見捨てる場合は共同体はのこるが
弱者を殺して共同体を維持する場合
それは発展の阻害である
なぜなら適応しないものを殺すため
発展を望むモノも殺すからだ
発展を望むものは例外なく適応していない
優秀か無能かはもんだいじゃない
望むものがいるからサービスも技術もある
共同体は弱者をころしても存在できるが
その共同体は発展が遅くなる
需要を潰しているため
発展への原動力がない
困っている人、苦しい人がいるから世の中変わるのであって
幸福な人間は世の中を変えない
弱者を切るとは変わらないことの証明であり
変わらないということは新しい環境に適応出来ないことでもある
限界集落がなぜ限界化するのか
それはその地域が弱者を切り捨てるからだ
適応できないモノを切り捨てるから人が居なくなり
だれもこなくなる