宗教は誰かを悪魔にしないと誰かを差別しないと誰かをリンチしないと運用できないのだろうか?
何かを信じるのは思想信条の自由において認められるし
悪いことではないが
集団としての安定や結束のためには少数者を異分子を
悪魔として抹殺する植松のようなナチスのような概念がないと
宗教は成立し得ないのだろうか?
そうやって自分たちじゃないモノを殺し潰すことを正当化して
正義を名乗らないと駄目なのだろうか?
過去においてそういう歴史があったとして今もやる必要があるのか?
人を傷つけ殺すことと自分が神を信じることにどんな関連性が正当性があるのだろうか?
激しく疑問に思う
それともそういう誰かを虐めて殺す娯楽をして世の中に負の連鎖を発生させないと駄目なのだろうか?そういう教義だからそういう教えだから思考停止して守るのか?
疑問に持つこともなく墨守するのか?
だとしたら悲しいことだ
上記が私の勘違いで思い違いであることを切に願う